東京地方裁判所 昭和29年(ワ)9081号 判決 1956年10月03日
原告(反訴被告) 若林すゑ
被告(反訴原告) 天野信二
主文
別紙<省略>目録の不動産が原告(反訴被告、以下原告という)の所有に属することを確定する。
被告(反訴原告、以下被告という)は原告のために、別紙目録の不動産につき東京法務局昭和二十八年九月十六日受付第一三三五三号をもつて被告のためされた同月十五日の売買による所有権取得登記の抹消登記手続をすべし。被告の反訴請求を棄却する。
本訴及び反訴の訴訟費用は全部被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、本訴請求の原因、反訴の答弁として、次のとおり述べた。
原告は昭和十五年六月十九日結婚し同棲してきた香取賢吉と性格が合わぬため協議離婚する予定のもとに昭和二十六年七月事実上離婚し別居するに至つたが、独立の生計を営むために、同年十一月早川年子から別紙日録の不動産を買受け、所有権を取得し、昭和二十七年四月この建物で旅館業を開業した。ところが夫賢吉は、原告が書類の不備から離婚届をのばしているうち、昭和二十七年九月十八日突然死亡した。やむをえず原告は氏だけをもとの新木に復したうえ、昭和二十九年五月一日若林英一と婚姻し、夫の氏を称して今日に至つている。
前夫賢吉死亡後その債権者が多額の債権(右事実上の離婚後にできたもの)につき賢吉の遺族に請求していることを聞き、なお顧問計理士から、「原告の不動産に対しても差押が行われるかもしれぬから、急いで適当な人の所有名義に変更するように。」と勧められたので、原告は旅館業が不振であつた折柄本件不動産が他人の手に渡るようなことがあれば路頭に迷うほかなしと心痛し、かねて知合の被告に事情を話し、被告と同道で昭和二十八年八、九月頃、その顧問神垣弁護士を訪ねて相談したところ、同弁護士は「被告は財産もあり人物も立派で十分信頼できるから被告に名義を移転するのが安全である。」と意見を述べた。
そこで原被告は神垣弁護士の意見に従うことにし、昭和二十八年九月十五日司法書士前野和太郎に事情を話して、原告が被告に代金百五十五万四千八百四十円で別紙目録の不動産を売渡した旨の証書を作つてもらい、翌十六日主文のとおり被告のための所有権移転登記を経た。
以上の次第で原被告は右不動産について通謀のうえ虚偽の売買の意思表示をしたのであり、右不動産は現に原告の所有に属する。
その後原告は本件不動産を売却しようと考え、被告に対して名義をもとに戻してくれと要求したが、被告がこれに応じないので、被告を相手取り、本件不動産が原告の所有に属することの確認と前示登記の抹消登記手続を求める。
本件不動産の所有名義を被告に移転するに当り原告が被告に対し信託的に本件不動産の所有権を譲渡したことはない。また強制執行を免れるための仮装行為といつても、原告が債務を負担したのでなく、もとより原告に対する債務名義があつたのでもなく、原告は女心のあさはかさから、いわば風声鶴れいに驚き取越苦労して本件仮装行為をしたのである。刑法九六条の二はこのような場合に適用あるものではないから、原告から被告への前記登記は不法原因給付には当らない。
原告は被告との間に被告主張のような管理手数料支払の契約をしたことはないから、被告の反訴請求は失当である。
以上のとおり述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、本訴につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を反訴につき「原告は被告に対し、金百万円と、これに対する昭和二十九年九月二十三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は原告の負担とする。」との仮執行の宣言つきの判決を求め、本訴の答弁、反訴請求の原因として、次のとおり述べた。
原告主張の不動産がもと原告の所有であつたこと、原告主張の日に原被告が右不動産について司法書士前野和太郎に頼んで原告主張のような売買証書を作つてもらい、原告から、被告への原告主張のような所有権移転登記を経たことは認める。右売買が原被告相通じてした虚偽の意思表示によるものであることは否認する。被告が原告と同道して神垣弁護士方へ行つたこともない。
原告は被告に対し、本件不動産が原告の債権者から差押えられそうだからこれを免れるため一時信託的にその所有権を譲受けてもらいたいと懇請したので、被告はこれを承諾し右の主旨で右不動産を譲受けた。原告主張の証言作成や登記はそのために行われたのである。右信託的譲渡に当り、原告は被告に対し「債務の整理がついて本件不動産を戻してもらう場合には管理手数料として本件建物の価格の二割に当る金員を支払う。」と約した。
原告主張のその余の事実は知らない。
仮りに原被告が本件不動産につき通謀して虚偽の売買の意思表示をしたのであるとしても、その虚偽の意思表示たるや原告が他からの強制執行を免れる目的で、すなわち実質上財産をかくすためにしたものであつて、原告から被告への登記は不法原因給付に当るから(刑法九六条の二)、被告は結局原始的に本件不動産の所有権を取得し、したがつてまた前記登記の抹消登記手続をする義務も負わない。
されば、本件不動産について原被告が信託的譲渡行為をしたのであればむろんのこと、原告主張のように仮装の売買をしたのであるとしても、原告の本訴請求は失当である。
被告は信託的に本件不動産を譲受けてこれを管理した。原告は前記のとおり本件建物の価格の二割に当る管理手数料を被告に支払うことを約した。ところで本件不動産の時価は五百万円であるから原告が被告に払うべき管理手数料は金百万円である。これは本件不動産を原告に返すとき支払う約であつたところ、原告は本件不動産の返還を求めているから、被告は、反訴請求として、原告に対し、右手数料百万円と、これに対する反訴状送達の翌日たる昭和二十九年九月二十三日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
以上のとおり述べた。<立証省略>
理由
原告主張の不動産がもと原告の所有であつたこと、原告主張の日に原被告が右不動産について司法書士前野和太郎に託して原告主張のような売買証書を作り、原告から被告への原告主張のような所有権移転登記を経たことは、当事者間に争いがない。
ところで、証人原田順三、長棟至元の各証言、原被告各本人尋問の結果を合せ考えると、次のとおり認められる。
原告は昭和十五年頃香取賢吉と結婚して同棲し、賢吉のハンドバツク製造業を手助けしてきたが、性格が合わず、かつ賢吉の先妻の子と折合いが悪かつたので、協議離婚を約し、昭和二十六年十月頃賢吉と別居して事実上離婚し、同年十二月本件不動産を求め、ここで旅館業をはじめた。ところが賢吉は原告との協議離婚手続が書類の不備でおくれているうちに昭和二十七年九月十八日多額の債務をのこして急死した。賢吉の営業は原告と同棲中は順調であつたが、原告と別れたのちに左前になり、多額の借財をのこしてしまつた。しかし原告は離婚の手続がすんでいると思つていて相続の放棄もしなかつた。原告は賢吉が負担していた多額の債務によつて強制執行を受けるようなことがあつては将来どうなることかと心配し、顧問計理士や弁護士に相談してその賛同を得たので、かねて知合の被告に対し本件不動産について売買を仮装し、これを買受けたことにしてもらいたいと頼んだ。被告はこれを承諾した。かくして両者間において本件不動産につき売買を仮装して、本件登記が行われた。
このように認めることができる。右認定を覆えし、原告が被告に対し右不動産を信託的に譲渡したということを認めさせるような証拠はない。
さて強制執行を免れる目的で財産を仮装譲渡することは刑法九六条の二の犯罪であり、刑法上の犯罪にあたる行為をすることは公の秩序善良の風俗に反すること、いうまでもない。そして公序良俗違反行為を原因としてした給付を裁判によつて返還請求することは原則として許されないものといわなければならない。したがつて強制執行を免れる目的で不動産を仮装譲渡して所有権移転登記をしたのち、その所有権移転登記の抹消登記を訴求することは原則として許されない。
しかし本件においては特別の事情があることを考えなければならない。
すなわち原告と賢吉との間の協議離婚の手続が遅滞なく行われていたら、原告は右のような不法なことをする必要がなかつたのである。また、賢吉死亡後原告が相続の放棄をしていたとしたらやはり問題はなかつたのである。いわば原告の無智から出た不注意(しかもそうとがめることができない不注意)が原告を窮地に追い込んだのである。しかも賢吉の多額の債務は原告と賢吉とが事実上の離婚をしたのちに生じたのである。原告をあまり強く責めるのは気の毒のようにも考えられる。
かように考えてくると、原告のやつたことは不法であり、もし起訴されるとすれば刑法九六条の二違反として処罰を免れない性質のものではあるが(刑法九六条の二の犯罪が成立するには被告主張のように債務名義が存することは必要でない)、その不法性たるやごく微弱であるといわなければならない。
このように給付の原因たる行為の不法性が微弱である場合には民法七〇八条本文を適用すべきでないと考える。何となればこのような場合にも民法七〇八条本文を適用すべきであるとすると、不法な行為に協力した相手方をかえつて不当に利得させることになるからである。これ当裁判所が、さきに、強制執行を免れる目的で不動産を仮装譲渡して所有権移転登記をしたのち、その所有権移転登記の抹消登記を訴求することは、原則として許されないとしたゆえんである。すなわち本件は稀にしかない例外の場合である。
通謀仮装行為は無効であるから、本件不動産の所有権は原告に属するものといわなければならない。しかりとすれば、被告は原告のために前記所有権移転登記の抹消登記手続をする義務を負うものといわなければならない。
原告の本訴請求はすべて正当である。
次に反訴について。
原告が本件不動産の登記名義を被告に移すにあたり被告主張のような管理手数料を被告に払う旨約したということについては、この点に関する被告本人の供述は信用することができず、ほかにこれを認めることができる証拠がないから、右約定のできたことを前提とする被告の反訴請求は失当である。
よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 新村義広)